スリランカのタミル人へのジェノサイドの真実の究明を

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スリランカ内戦(1983年~2009年)では政府軍と「タミル・イーラム解放のトラ」 (LTTE)の間の抗争の中で、兵士・戦闘員だけでなく多くの民間人が犠牲になりました。
日本も関わった和平プロセスが失敗した後、06年以降の政府軍の攻勢の中で、戦闘が行われた東部と北部においてタミル人への集団殺戮が繰り返されたことが明らかになっています。

内戦はLTTEの壊滅によって終結しましたが、その後もタミルの民族自決権・分離独立を求める人々は国外や国内で避難民としての生活を余儀なくされています。問題の背景には英国によるスリランカ(セイロン)の植民地支配と独立の過程での民族対立の利用、多数派のシンハラによる少数派のタミルへの抑圧、セイロン島の軍事的・戦略的重要性とそれに関連する大国の思惑などの歴史的要因があり、タミルの人々の民族的諸権利が奪われてきたという経緯があります。最近ではシンハラの一部仏教徒集団による少数派・イスラム系住民への暴力の増加も伝えられており、ミャンマーにおけるロヒンギャへの抑圧と共通の問題が指摘されています。

一方、国際社会においては、スリランカ政府軍によるジェノサイドは「テロとの戦争」の大義によって隠蔽、黙認されてきました。そこにはイスラエルによるパレスチナの人々への暴力、サウジアラビアのイエメンへの軍事介入を黙認することと共通する二重基準が貫かれています。

私たちは2016年1月に京都でスリランカの人権活動家のジュード・ラル・フェルナンドさんから、南アジアから見たアジアの軍事化の新しい段階と、スリランカ、グアム、台湾、韓国、沖縄が直面している問題の共通性についてのお話を伺った際に、最近におけるスリランカの軍事化に先立って、内戦の中でタミル人への集団殺戮が計画的に行われたこと、それが国際社会には「テロとの戦争」の名目で黙認されてきたことに大きな衝撃を受けました。

その後、ジュードさんからの要請を受けて、2013年12月にドイツ・ブレーメンで行われた「タミルの集団殺戮に関する民衆法廷」の記録の日本語版刊行を計画し、このほど翻訳を完了し、暫定版を刊行することとなりました。ジュードさんからは、内戦の最終局面の09年5月にスリランカ北東部のムリバイカル村で発生したジェノサイド(70000人以上が死亡したと推定されています)を記憶にとどめておくため、この事件が発生した5月18日を「ムリバイカルの記憶の日」とする試みについても報告されています。

「タミルの集団殺戮に関する民衆法廷」記録日本語版(暫定版)は以下からダウンロードできます
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