ウイルスがあばくモノ⑫

ウイルスがあばくモノ⑫

変異型のウイルスが話題になりつつある今日この頃ですが、変異株(変異型)が増殖していく状況は、「環境にも社会にもより悪い経済の仕組み」の方がより増殖していく歴史に重なって見えてしまいます。まさに、「悪貨は良貨を駆逐する」のことわざの如くです。他の性能が同じならば、感染力が強い変異株の方が元の株より増殖に有利なのは必然です(強毒化の変異株は、宿主も殺してしまうので増殖に有利とは限らないことになる)。対処は、特定外来生物の様に影響力の大きい外来種問題とも共通しますが、「侵入を極力防いで、水際で絶滅させる、それができない場合は増殖を極力遅らせる」という手順になります。実際にそれを実施するかは価値観(価値判断)によりますが。では、経済の仕組みはどうでしょうか? 自然破壊や環境の非持続性もさることながら、「一部の者(国・企業・個人)のみが現在の利益を得、飢餓や貧困・過労死や失業苦を含む偏在・不要で有害な産業(仕事)の増加と社会的により必要な産業の不足(過酷・低賃金労働)・差別や偏見の助長、未来を地球破局に陥れる様な」経済の仕組みを信望しているのは、どういう訳でしょうか? 多くの主要国が制度上民主政治の枠組みを持っているにもかかわらず、好き好んで国民が賛同・容認・隷属しているは・・・ みなさまは如何思いますでしょうか?

社会的ジレンマの構造になっているが、私の仮説の一つです※1。これは、色々な段階で起こりうるのですが、まずは、「違法ではなくても(環境や社会に)より悪いことをする方が、個人的に利益を得られる様な」経済の仕組みが成り立っていると仮定します。倫理や慣習、商道徳などで、あまり悪いことをしていなければ社会の悪化は防がれているかも知れません。しかしながらこの仕組みのままでは、悪いことをする人が出だすと、社会が悪くなっていきます。積極的に悪いことをする人の方が、より利益を得ることがより問題です。結局、「ごく一部の人だけしか良い習慣を守らない」状態に収斂されます(ジレンマの理論上)※2。一方、通常の社会的ジレンマと異なるのは、この傾向が人数ではなく、「動かせるお金の量」で決まることです※3。「個人的利益と社会的利益の相反」が企業の活動でも成り立っているとすると、社会や環境に悪影響を与える企業ほど利益を得ますので、経済的影響力を増します(その上、雇員を増やすと政治的影響力もまします)。資本はより純粋に利益を求めますので、更に悪循環になります。ですが、本当の問題はここからです。

一つは、この状況で企業や資本の悪行を非難しても、むしろ逆効果に成りかねないことです (平気で悪行をする方(の企業)を有利に、倫理を守る方(の企業)の活動を制約することになる:事前に悪影響調べれば、悪影響を与えない範囲の事業選択が限られ儲け損なったり、事前に被害を与えることが分かればその対策によりコスト増になり利益縮小に繋がったりするため)。また、環境詐欺産業に増加にもつながりかねません(事業に於ける環境影響の情報は、通常関係する事業者が多くにぎっており、他者に公開されることは限られる。情報の非相対性が存在する状況では、加害情報を隠して、「環境に良い」と思わせる様に過剰に宣伝することが可能になる)。

今一つは、意志決定の単位が国などの場合です。国に経済力を基盤とした国力があるほど、他国に対する影響力を行使できるので、経済拡大指向に成りがちです。逆に経済力が衰えると国力も維持できなくなるので、他国の横暴に泣かされることに成ります。多くの場合(国全体での)経済規模が拡大できる様な法改正が行われます。その場合、環境や労働条件を悪化させる方向に、規制緩和や雇用増加という美名で行われます。周辺諸国が同様の法改正をすれば、しない国は経済拡大競争上不利になりますから、同様の法改正をせざるを得なくなります。まるで「社会を悪化させるような法改正競争」をしているかの如くです。また、経済大国は、自国がより有利になる様な経済条約を結ぶよう、経済的弱小国に干渉します(思惑通り効果があるかは別問題ですが、経済的弱小国に対する悪影響は免れません)。これらの推定が正いとすると、より露骨に経済拡大に努力をした国ほど、他国の環境悪化に貢献し、国内では様々な社会的矛盾を増加させたはずです。さて、現実は?

では、です。懸念する人も少なからずいるはずですが・・・
 
経済倫理の強化で解決を主張する人もいますが、現状では逆効果に成りかねません(前述)。地域経済の充実・復活の主張には賛同しますが、現行経済の仕組みにおいて必然的に崩壊してきたのですから、その指向だけでは解決の力になり得ません。例外的に一部の成功例があったとしても。また、資本主義や「経済のグローバル化」を問題にする主張もあります※4。大変重要な指摘も多く、環境・社会の問題を深刻化し、地球規模にしたのは間違えないのですが、「それ以前からあった問題」と言う視点が欠けており、より根源的な解決には成り難い。が、私の見解です。資本主義が東インド会社からとしても、ぜいぜい17世紀初頭のことです。一方、「個人が儲かることと社会的利益の乖離」は、少なくとも中国の春秋戦国時代にはあった(ので、儒教は職業差別で解決をしようとしたが、個人の差別につながったり、政治が経済に対する関心を失ったりするなどの副作用も生じた)、利子の問題も紀元前にはあったはずです(ユダヤ教は自教徒には利子禁止・かつてキリスト教も禁止、日本でも徳政令やこれ求める一揆があったので利子問題があっと推定できる)。技術導入が貧困化をもたらすことは、後家倒し(の騒動)もあったことから明白です(千歯扱きの導入により仕事を失った人があり、特に母子家庭等が貧困化がした)。同意し難いでしょうか?

戻って、ワクチン接種が云々されていますが、使い方によっては、「ワクチン耐性の変異株を増加させる選択圧」に成り兼ねないことに、ご留意を!
(以上、特定の読者向けに、2021年1月22日に記した文章を元に再構成しました。)

※1社会的ジレンマ:社会全体や集団の利益が、構成員である個人の利益と衝突する場合に生じる、相互に影響し合う意志決定の葛藤状態のこと。
※2:参照:山岸 俊男『社会的ジレンマのしくみ―「自分1人ぐらいの心理」の招くもの』1990. サイエンス社/例えば、p.89~98には「限界質量の原理」として、限界質量の前後で協力者が多い集団になるか、非協力者が多い集団になるか、どちらかに集約されてしまうことが説明されている(p.93には図説もある) 。
※3この点は、上記著者の見解と、私の見解は異なります。とりわけ、社会的効率を貨幣経済的利益と捉えているような点には違和感を覚えます(p.189)。
※4:ごく一例を挙げれば、前回紹介した経済思想家など。:齋藤幸平『人新世の「資本論」2020.集英社

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