イラン民衆に連帯するデモ(1月18日、ベルリン)でのスピーチ

ATTAC首都圏のMLからの引用です。

「Feminists for Jina」のinstagramで紹介されていた1月18日にベルリンで行われたイラン民衆に連帯するデモでのスピーチ映像、日本語字幕を付けたものを会員の方方から提供してもらい、attac首都圏のブログにアップロードしました。ぜひご覧ください。

http://attaction.seesaa.net/

もともとのinstagram映像はこちらです
https://www.instagram.com/reel/DTqISidDDjP/?utm_source=ig_web_copy_link&igsh=MzRlODBiNWFlZA==

スピーチの原文は同団体のサイトでもみられます。
https://feminists4jina.net/archives/1935

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【生命!尊厳!自由!】

イラン人として語ることは、
耐えがたいほど困難になっています。
まるで、
誰かが常に私たちの代わりに
語っているかのようです。

私たちが語ることを許されるのは
それはただ、
彼らがすでに信じていることを確認するための
質問に答えるためだけです。

彼らは聞きます。

「アメリカやイスラエルの助けを望んでいるのか?」
「死者数は本当に一万二千人なのか?」

しかし――
私たちを支配するファシスト政権が
世界最多の死刑執行国家となったとき、
誰一人、私たちに問いかけはしませんでした。

12日間の戦争で
体制の力のイメージが崩れたあと、
百万人以上のアフガン人の隣人が

数週間で
タリバンの地獄へと強制送還されたときも、
誰も問いはしませんでした。

パンデミックのとき、
数万人規模の「不遇の死」が
私たちに押し付けられたときも、
誰も問いはしませんでした。

私たちの水が汚染され、
空気が汚され、
森が破壊され、

社会全体に
緩慢な死が設計されたときも、
誰も問いはしませんでした。

人々が貧しさに追いやられ、
イスラーム主義のオリガルヒたちが
さらに豊かになったときも、
誰も問いはしませんでした。

ほぼ五十年にわたり、
蜂起のたびに、
私たちの愛する人々が
処刑され、
投獄され、

銃で撃たれ、
亡骸が行方不明になり、
あるいは遺族が金を支払わないと
亡骸を引き取れなかったときも、
誰も問いはしませんでした。

レイプと殺人が
安く、簡単に行われるようになったときも、
誰も問いはしませんでした。

なぜなら、
私たちは、
私たちの命は
西側諸国や西側の観客にとって
意味を持つときにしか、
重要と見なされないからです。

(イラン人民の蜂起に連帯せよ
正義の力を結集せよ
イスラム共和国の暴政を打ち倒せ)

今日、
それがはっきりと見えました。

帝国は、
イラン支配層の内部で
剣闘士の戦争を演出しました。

一方は西に傾き、
もう一方は東に傾く。

どちらに投資する価値があるのか。
どちらがより安く支配できるのか。
どちらが――
国外では弱く、
国内ではより残虐でいられるのか。

この戦争と取り引きの繰り返しが、
私たちの人生の何十年もを
形作ってきました。

孤立という幕の裏で、
ファシスト政権は
私たちを殺し、
私たちを略奪する。

重要なのは、
ただ利益だけなのです。

最も残酷なのは何でしょうか。

西側にいる
帝国の擁護者も、
帝国の批判者も、
私たち――
西アジアの人々に、

地域内での
剣闘士の戦いを期待していることです。

そして彼らは、
比較的安全な家や街から、
それを観戦するのです。

そして情熱的に議論します。
「どちらがより同情に値するのか」
「これが本当のテロだ」
「あれが本当の抵抗だ」と。

私たちは、
ジェノサイドに直面する
他の人々と
向かい合う位置に立たされます。

その殺害者や、それを
遠くから支える者たちが、
道徳的な正当性を
得るために。


ガザで二年以上、
ライブ配信される
ジェノサイドが続いたあと、
ファシズムは
世界中で常態化しました。

中東の身体は、
その原料になりました。

そして今、
この地域で生きたこともなく、
百年以上続く
支配と搾取への闘いを

学ぼうともしなかった人々が、
私たちの命に
値段をつけているのです。

私たちフェミニストの答えは、
その先へ進むことです。

シンボルだけの世界を超えて。
アイデンティティを超えて。
命の値段を超えて。

私たちは、
身体へと立ち返ります。

働く身体。
産む身体。
殺される身体。

私たちはフェミニストとして、
世代を超えて傷を抱えながら、
それでも夢を見続けてきました。

グローバル・サウスの人々の連帯を。
とりわけ、
いわゆる「中東」の人々の連帯を。

権利のために。
平等のために。
自由のために。

3年前、
「女性・生命・自由」という
私たちの叫びは、
届く限りの場所へ
響き渡りました。

それは、
あらゆるファシストを
震え上がらせました。
世俗であれ、
宗教的であれ、
イラン人であれ、
そうでなくても。

彼らは急いで
それを打ち消そうとしました。
歪めようとしました。

家父長的で、
人種差別的で、
資本主義的な力の中から
選ぶ以外に、
解放の地平を
残さないために。

今日、
私たちの身体に
充満しているのは、怒りです。

妥協のない怒り。

私たちの代わりに語りながら、
被抑圧者同士の本当のつながりを
築こうとしない、すべての者への怒り。

アフガニスタンから
クルディスタンへ
イラクへ
シリアへ
レバノンへ
パレスチナへ
スーダンへ。

私たちは、現状を維持するだけの
空虚な平和主義を説きません。

イランの人々を含む、
すべての被抑圧者の
抵抗する権利を認めます。

そして、
特定の集団にしか
奉仕しない基準で、
彼らを裁くことを拒否します。

私たちは生命を要求します。
私たちは尊厳を要求します。
私たちは自由を要求します。

女性、生命、自由
(女性、生命、自由)

Jin , Jiyan, Azadî
女性、生命、自由

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